大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和39年(ワ)5171号 判決

原告 玉木英治

右訴訟代理人弁護士 増本一彦

同右 徳満春彦

被告 後藤観光株式会社

被告 後藤文二

右被告両名訴訟代理人弁護士 秋知和憲

同訴訟復代理人弁護士 金子正康

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

原告(請求の趣旨)

被告らは各自原告に対し、金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年六月一九日から完済まで年六分の金銭を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

被告ら

主文と同旨の判決

二、当事者の主張

(一)  原告の請求原因

被告らは共同して左記約束手形一通と原告を介して訴外湯川洋蔵に交付して振り出した。

金額 一、〇〇〇万円

満期 昭和三八年一二月七日

支払振出地とも 東京都新宿区

支払場所 株式会社三和銀行四谷支店

振出日 昭和三八年一〇月四日

振出人 後藤観光株式会社 後藤文二

受取人 白地

湯川洋蔵はこれを原告に交付して譲渡したので、原告は前記白地の受取人欄を「玉木英治」と補充した上、右手形を現に所持する。

よって原告は被告らに対し、各自右手形金とこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和四〇年六月一九日から完済まで商事法定利率たる年六分の遅延損害金の支払を求める。

(二)  被告らの答弁

原告主張の請求原因事実は、そのうち被告後藤文二が原告主張の本件約束手形を振り出したとする点を除いて認める。被告後藤が本件手形を振り出したことは否認する。

(三)  被告らの抗弁(被告後藤文二の関係では仮定抗弁)

1、本件手形の振出は原告の詐欺によるものであるから、被告らは本件手形の振出行為を取消す。

即ち、本件手形振出当時、被告会社は事業運営資金の調達に苦慮し、第三者に対し、訴外不動信用金庫へのいわゆる導入預金を求め、その預金相当額を同金庫から借り受ける方法で融資を受けていた。

しかして被告会社専務取締役砂山清進が原告に対し、右預金者の斡旋を依頼したところ原告は湯川洋蔵をして金一、〇〇〇万円を右信用金庫へ預金させるに至ったが、その際、砂山に対し、実際には金主の湯川から被告らの手形の要求はなかったのに「金主からその不動信用金庫に対する預金の払戻を保証するため被告会社振出の裏手形の交付を求められている」と申し向けて欺罔し、砂山をしてその旨誤信させ本件手形を振り出させたものである。

2、仮りに右詐欺の事実が認められないとすれば、次のとおり主張する。

本件手形は、不動信用金庫の湯川洋蔵に対する前記一、〇〇〇万円の払戻債務を保証する目的で振り出されたものであるところ、昭和三九年八月二七日、右湯川を含む不動信用金庫の各預金者と訴外中央信用金庫および、不動信用金庫の三者間に次の条項を含む契約が成立した。

(イ) 中央信用金庫は不動信用金庫の預金者に対し、各預金額の二割を現金で支払い、預金額の一割については中央信用金庫の期間一年の定期預金とし、その旨の通帳を発行し交付すること。

(ロ) 不動信用金庫の各預金者は残債務につき不動信用金庫に対し、破産宣告の申立、訴の提起等をしないこと。

しかして、湯川は右約旨に従い、中央信用金庫から現金二〇〇万円と金額一〇〇万の定期預金通帳を受領し、その後右預金の払戻を受けた。

従って湯川に対する不動信用金庫の債務は七〇〇万円に減少し、しかもそれは訴求し得ないいわゆる自然債務に転化したのであり、その保証のための本件手形債務も附従性により、同様に金七〇〇万円に減少し、かつ訴求され得ないものとなった。

原告は本件手形が保証手形であることを熟知しながらこれを取得したのであるから、被告は湯川に対する右の抗弁を原告にも対抗し得る筋合である。

3、仮りに右主張が容れられないとすれば、被告らは原告に対し、次のとおり反対債権を有するので本件手形債務を対等額で相殺する。

即ち

(1) 原告は昭和三八年一〇月中頃から被告会社の経理部長に就任し、昭和三九年一月中頃まで被告会社の整理事務に従事したが、その在任中である昭和三八年一一月二五日、かねて被告会社が訴外クート商事株式会社に対して金七五〇万円の借受金債務の担保のため提供していた被告会社所有の別紙目録(A)記載の土地を訴外京橋鋼材株式会社に代金一、二五〇万円で売却しながら、そのうち七五〇万円を訴外クート商事株式会社に対する被告会社の債務の弁済にあてたのみで、残金五〇〇万円を着服して横領し、被告会社に同額の損害を与えた。そこで被告会社は原告に対して右五〇〇万円の損害賠償を請求する権利がある。

(2) 次に原告は昭和三八年一〇月中被告会社のため他より融資を受けると詐称して別紙目録(B)記載の宅地に関する権利証その他の登記関係書類を持ち出した上、昭和三八年一二月九日付で売買を原因としてほしいままに原告名義に所有権移転登記手続をなし、更に同月二六日付で訴外渡辺喜一郎名義に売買予約をなし、昭和三九年一月二二日付でその仮登記手続をなした。

しかして現在のところ被告会社が右各土地の返還を求めるのは実際上不可能であり、結局被告会社は原告の不法行為により右各土地の価額相当の損害を蒙ったものである。しかして、右各土地の価額は合計で少くとも四七四万円を下らないから被告会社は原告に対し、右金員の賠償を求め得る筋合である。

(3) 原告は昭和三九年一月八日より被告ら所有の別紙目録(C)記載の家屋の各一階と備品(時価金二一三万円相当)と共に不法に占有して使用しており、被告会社に対し、賃料相当の損害金を与えている。しかして右賃料は一ケ月金五〇万円を下らず、原告の不法占有の期間は既に二一ケ月以上になるから、被告会社は原告に対して少くとも一、〇五〇万円の損害賠償の請求をなし得る。

更に原告が現在使用している右建物階下部分を被告会社において使用すればそれによって一月金一〇〇万円を下らない収益を挙げ得るにも拘らず、原告の不法占有によって被告会社はこれを得ることが出来ない。そこで被告会社は毎月右一〇〇万円より賃料五〇万円を控除した残金五〇万円、その二一ケ月分合計一、〇五〇万円の得べかりし利益を失ったこととなり原告に対しこれが賠償を求めることができる筈である。

(4) 原告は昭和三九年一月八日以来被告会社所有の自動車(トヨペットクラウンデラックス六二年型)二台(時価合計金一六〇万円相当)を不法に使用してその価値を消耗し、現在既に零に等しい。

よって被告は原告の行為により右金一六〇万円相当の損害を蒙ったものであり、これが賠償請求権を有する。

被告会社は原告に対して以上(1)ないし(4)の債権を有するので原告の本件請求金額に充つるまで右各債権を以て順次相殺をなす。

(四)  被告らの抗弁に対する原告の認否

1、原告が被告会社専務取締役砂山清進から不動信用金庫への預金者の斡旋依頼を受けたので湯川に依頼したところ同人は右同信用金庫へ金一、〇〇〇万円の預金をしたこと、その際原告が砂山に対して金主から預金の保証として被告ら両名振出にかかる金額一、〇〇〇万円の手形の交付を求められている旨告げたところ、同人から本件手形を手交されたものであることはいずれも認めるが本件手形の振出が原告の詐欺によるとする点は否認する。原告は前記のとおり湯川に対して預金方依頼した際真実同人から被告ら振出の手形を交付するよう要求されたので、その旨砂川に告げたのであって、本件手形を詐取するため欺罔手段を講じたことはない。

2、本件手形が不動信用金庫の湯川に対する金一、〇〇〇万円の預金の払戻を保証する目的で振り出されたこと、原告は右事実を知って本件手形を取得したことは認めるが、被告ら主張の日に湯川を含む不動信用金庫の各預金者と中央信用金庫および不動信用金庫の三者間に被告ら主張の契約が成立した事実は不知。かりに右事実があるとしても右契約は原告が本件手形を取得した後に成立したものであるから、原告が本件手形を取得するに当り、これが湯川の預金債権保証のための手形であることを知っていたからといって前記契約成立の事実をもって原告に対抗できない。

3、相殺の抗弁における自働債権の存在はすべて争う。

(1) 被告会社がその所有の別紙目録(A)記載の宅地をかねて訴外クート商事株式会社に譲渡担保として提供していた事実は認める。その後右土地は適法に同会社の所有に帰したから被告会社が右土地につき原告に対して被告ら主張のような債権を有するいわれは全くない。

(2) 別紙目録(B)の土地は、原告が被告らから人件費の調達方依頼を受けたので、原告の妻訴外玉木僖久枝と共に代金三〇〇万円で買い受けたものであり、かつ右代金は既に支払済である。

(3) 原告が別紙目録(C)記載の家屋の各一階を占有している事実は認めるが、これは原告と被告会社との間で締結されている会社再建委託契約に基くものである。なお被告ら主張の賃料相当額および営業利益の額は争う。

(4) 原告が被告ら主張の自動車二台を使用していることは認めるが、これは被告会社との前記会社再建委託契約に基いて使用しているものである。なお被告ら主張の損害額は争う。

理由

一、被告後藤観光株式会社(以下被告会社と略称する)が原告主張の本件約束手形を、その受取人欄を白地のままとして、原告を介して訴外湯川洋蔵に交付して振り出したことは原告と被告会社との間で争いがない。

つぎに原告は被告後藤文二も本件手形を被告会社と共同で振り出したと主張するのに対し、被告後藤はこれを否定するので考えてみるのに、右手形(甲第一号証の一)には同被告名義の記名捺印がなされており、これに同被告所有の印によって顕出されたものであることは原告と同被告との間で争いがないから、他に特段の事情がない限り、本件手形は真正に作成されたものと推定すべきである。

もっとも、後記のとおり、本件手形は湯川洋蔵の訴外不動信用金庫に対する預金の払戻を保証する目的で振り出されたものであるところ、証人砂山清進の第一、二回証言および被告代表者兼被告本人後藤文二の尋問の結果によれば、被告会社は従前右湯川以外の第三者に対しても同様の目的で十数通約束手形を振り出したことがあるけれども、いずれについても被告後藤が共同で振り出した例は殆んどないこと、また本件手形に顕出された被告後藤の印は従来同被告の兄で被告会社監査役の訴外後藤長一の管理下に被告会社が保管していたが、昭和三八年一一月二二日頃被告会社が不渡手形を出して銀行取引停止処分をうけた後は、当時被告会社の経理部長として財産整理の任に当っていた原告がこれを保管するに至り、その後昭和三九年一月解任されるまでこれを保管していたこと等の事実が認められる。しかしながら原告はその本人尋問において、本件手形を昭和三八年一〇月四日被告会社専務取締役訴外砂川清進からうけとった、当時既に被告後藤の記名捺印はなされていたと供述するのに対し、砂山証人は当時被告会社は連日のように多数の約束手形を振り出していたので右の点については明確な記憶がないと供述するに止まるのであって、前段認定の事実があるからといって、本件手形になされてある被告後藤名義の記名捺印が真正に成立したものであるという前記推定を覆えすのには未だ十分ではない。そうしてみると、被告後藤も本件手形を被告会社と共同で振り出したものと認めるほかはない。

しかしてその後湯川は本件手形を受取人欄の白地未補充のまま原告に交付して譲渡し、原告において右受取人欄を「玉木英治」と補充し、現に所持することは当事者間に争いがない。

二、すすんで被告ら主張の抗弁について判断する。

証人砂山清進(第一、二回)、湯川洋蔵(第一、二回)の各証言、原告(第一回、但し後記採用しない部分を除く)および被告会社代表者兼被告本人後藤文二の各尋問の結果によれば被告会社は昭和三八年当時事業運営資金の調達に苦慮し、資力ある人に依頼して不動信用金庫へ預金させ一方同信用金庫に担保を供し、右預金額の範囲内で同信用金庫から融資を受けるという方法で資金の調達をしており、この場合その預金者に対し、預金の払戻を保証するための約束手形の振出を求められたことは殆んどなかったが、要求されれば前記のとおり振り出すこともあったこと、同年夏、原告は前記砂川清進から右預金者の斡旋の依頼を受けたので前記湯川洋蔵に不動信用金庫への預金を依頼したところ同人は、同年夏頃から同年一〇月初め頃までの間に三回にわたり同信用金庫に預金をしたが、その最後になした金一、〇〇〇万円の預金につき、同信用金庫の営業状態に不安を感じて、原告に対し、右預金の払戻を保証するため原告振出の同金額の約束手形を交付するよう求めたこと、しかるに原告は、前記砂川に対し預金者の氏名は告げず、金主から右の趣旨で被告会社振出の約束手形の交付を求められている旨告げたところ、砂川はこれを了承し、被告会社の係員に命じて本件手形を作成させ、原告に交付したので、原告はこれを湯川に交付したこと、ところが昭和三八年一一月初め頃不動信用金庫が営業に破綻を来して預金の払戻を停止したので、湯川は改めて原告に対しその振出にかかる手形を交付すべき旨要求してその交付を受けたので、その代りに本件手形を原告に交付したこと等の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。右認定の事実によれば、なるほど被告ら主張のとおり原告は湯川から要求されていた自己振出の手形の代りに被告会社振出にかかる手形を湯川に差入れることを企図し実際は湯川から被告会社の手形を要求されていないのに拘わらず、その要求を受けていたかの如く砂川に告げて、その手形を振り出させたものというべきであるが、右事実をもって原告の行為を詐欺と認めるには未だ十分ではない。

けだし、本件手形振出の最も重要な動機は、湯川の不動信用金庫に対する預金の実現にあると認められるところ、この点については原告の所為になんら虚偽の点はなかったのであり、ただ本件手形の振出が実際は湯川の要求によるものでなかった点で事実と異る言辞が用いられたものであるが、原告がもともと湯川から要求されていたとおり、自己振出の手形を湯川に差し入れておれば、被告会社に対し、更にその再保証のため原告宛の手形の振出を求めたであろうし、かつまた、被告会社においても右要求に応じたであろうことは前記認定事実より十分窺い知られるところである(証人砂山清進の第一、二回証言中これに反する部分は採用しない)から当時原告が右の中間段階を省略してとりあえず、被告会社から直接湯川へ手形を差入れさせることを企図し、そのため砂山に対し多少事実と異なる言辞を弄したからといってただちにこれを詐欺と解するのは当らない。

従って本件手形の振出は原告の詐欺によるものとしてその取消を主張する被告の抗弁は援用できない。

三、つぎに、本件手形が湯川の不動信用金庫に対する預金の払戻を保証する目的で振り出されたことは当事者間に争いがない。

しかし、証人湯川洋蔵の第一、二回証言および同証言によって成立の認められる乙第四号証の記載によれば、昭和三九年八月頃湯川を含む不動信用金庫の預金者団と訴外中央信用金庫および不動信用金庫との間で次のような内容即ち

(1)  中央信用金庫は不動信用金庫に代位して同金庫の預金者に対し各預金額の二割を現金で支払い一割を中央信用金庫の期間一ケ年の定期預金として債務を引き受け、その旨の証書を発行し交付すること。

(2)  不動信用金庫の各預金者は不動信用金庫に対し現に裁判所に於て手続中の破産宣告の申立、その他訴の提起、強制執行等一切の手続について、これが取下もしくは取消をなし、かつ将来にわたって同様これらの権利の行使をなさないことの各項を含む契約が成立し、湯川は右約旨に従い、中央信用金庫から現金二〇〇万円の支払を受けかつ一〇〇万円の定期預金債権を取得し、その後右預金の払戻を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右のとおり、不動信用金庫の湯川に対する一、〇〇〇万円の預金払戻債務のうち、三〇〇万円の支払がなされ、かつ、残余については湯川との間で訴求しない旨の合意が成立したのであるから、被告は湯川に対し右不動信用金庫の債務の保証のために交付された本件手形債務についてもその附従性にもとずき、金三〇〇万円の限度で債務が消滅し、かつ残余も訴求し得ない旨の人的抗弁を有するものといわねばならない。

ところで被告は、本件手形が不動信用金庫の湯川に対する前記預金払戻債務を保証する目的で振り出されたものであることは本件手形取得当時原告のつとに熟知していたところである(このことは当事者間に争いがない)から、その後主債務たる右預金債務について前記のとおり契約が成立したことにより本件手形に関して被告が湯川に対して主張し得るに至った前記人的抗弁は当然また原告にも対抗し得ると主張するけれども、原告において、本件手形取得当時、既に前記抗弁が後日成立することを確実に認識し得たのであればともかく、そうでない以上保証手形であることを知っていたという一事のみをもって当然に、被告が前記抗弁を原告に対抗し得るものではなく、本件の場合右の如き事情を認め得る証拠はないから、被告の前記主張は失当というほかない。

しかしながら、原告は湯川の右預金の払戻の保証のため、本件手形とは別個に、原告振出の手形を湯川に差入れたことの代償として、同人から本件手形の譲渡を受けたのであり、しかもその後湯川の預金債権について前記契約が成立したことにより原告の湯川に対する前記手形債務についても、本件手形に関する被告の前記抗弁と同様の抗弁を有するに至ったものというべきであるから、右手形交付の代償として取得した本件手形につき原告はもはや被告に対して完全な権利を行使するだけの固有の経済的利益を有しないといわねばならない。そしてこのような場合、本件手形が被告から原告へ譲渡された過程の中間に湯川が存在することによる人的抗弁切断の保護を原告が受ける実質的理由はないから被告は湯川に対して主張し得る前記人的抗弁を原告に対しても主張し得るものと解するのが相当である。

そうすると、被告は原告に対し、本件手形債務のうち、金三〇〇万円については主債務たる預金債務の消滅を理由として、また残余の債務についても主債務について不起訴の合意がなされたことを主張して本訴請求を拒み得るものといわなければならず、この意味において被告らの抗弁は理由がある。

よって原告の本訴請求は爾余の点について判断を加えるまでもなく失当として棄却を免れず〈以下省略〉。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例